2017年10月5日木曜日

嫁の家での仕事

嫁はお客さん

義理の両親と一緒に住み始めて、最初はお客さんみたいな感じでした。

私は転職みたいな気持ちで早く会社(家庭)の仕事を覚えなきゃ!と思っていたのですが。

入ってみたら、新人に家事は任せられないどころか、お客様には家事は任せられない状態。

当時の役割分担は、こんな感じ。

お義母さん→料理・買い物・たまに掃除
お義父さん→掃除・洗濯・庭掃除・買い物
夫→なし

お義父さんがよく動くのですよ。
掃除機もかける男性です。
(夫のなしっていうのもどうなんでしょうね。)


最初の仕事は洗濯物係
お義父担当だった洗濯物は、若い女性物の下着があるので早々手放して、私がやるようになりました。

洗濯機の使い方を最初にレクチャーしてくれたはお義父さんでした。
「洗濯も庭も掃除しなきゃいけない!」とぶつぶつ言っていたのを覚えてます。

洗い・すすぎ・脱水を一つづつ手動で設定していき、義父は「何回洗って脱水したか」を数えてました。

風呂の残り湯を節約のために使うので、ポンプのやり方とか聞いて教えられた通りに初め1ヶ月くらいはやっていたのですが、ある時気がつきました。

「全自動モード」の存在に。

実家の洗濯機はボタン一つで全部できていたのにも関わらず、ここの洗濯機は古そうだしいちいち設定しないとできない昔の感じ?なのかと思ってました。

洗濯機を5〜10分おきに設定するために張り付いているなんて面倒くさ〜い!
O型の血がここで炸裂。

全部いっぺんに最初に設定できないの?とやってみたらできました。

さらに、簡略化。
水を貯める時に風呂の残り湯を入れ洗濯機の蓋をして、スタートボタンを押す。

設定なんてしない。これだけでOK。

洗濯機が自動で量と水位を判断し、洗い・すすぎ・脱水回数を自動でやってくれます。


これに気がついた時、「なんて今の洗濯機は便利なのかしら!」と思いました。
(もはや過去から来た人)


「時間がない」とぼやいていたお義父さんはきっと洗濯にかなりの時間を使っていたことでしょう。
そう、この通り、うちのお義父さんは、少し要領が悪いです。

庭仕事もずっと外で葉を拾ってますが、
「落ちてくるのを待っているのか?」と親戚に言われたぐらいです。

いっぱい落ちてから集めて拾おう〜という面倒くさがりの人とは逆です。

義母から言わせると非常に丁寧に生きている方です。

神経質な部分もありますが、潔癖性ではありません。
掃除機をかけるが、掃除ルートがありそこから外れた所はホコリだらけという事はざらにあります。

洗う係になる2
一方、義母は、要領はいい方です。
貯めて貯めて最後に一気にやれば良いという感じです。
これも良いんだか悪いんだかで。

料理を作っている際、合間に洗い物は一切しません。

義母が料理中、何もやる事ない私は、料理器具を洗おうとしました。
止められました。
「そういうのは最後にやればいいのよ」と。

えーと…この件に関して今でも
納得いきません!!


結局、食べ終わった後に洗い物するのは私なのです。
「作ってもらったので〜」と言って皿を洗います。

当時は大皿料理なしで、小鉢や皿などにちゃんと盛ってある感じだったので、一人あたりの器は約5枚。それが4人分。

器類とさらに、フライパン、鍋、ボール、その他もろもろ調理した器具などどっさり洗う前のやる気の出なさと言ったら。

そして洗剤が薄めすぎて泡立ちが悪く油が切れない!(←義母の仕業)
と、泡よりも自分が苛立つ始末です。


今現在は、私が時間をずらして夫が帰ってから食べるので、調理器具等は洗われてます。
洗剤もたまに足すことにしてます。


洗う係としては洗剤はストレスなく使いたいものです。
節約のためとは言え、ね…。

我慢と忍耐はつづく同居嫁アーちゃんでした。


2017年9月29日金曜日

お義父さんと合わない!

よく嫁と姑の仲が悪いという話を聞きますが、うちの場合少し違います。
どちらかと言うと、うちは私(嫁)と舅が合いません。

舅のかまいたい攻撃

結婚当初、義両親の仲があまり良くなかったためか、私へ義父の「かまいたい」攻撃がありました。

外から帰ってきたら、「お茶でも飲んだら?」「大福食べたら?」「ここのお菓子食べてもいいんだからね」等の言葉掛けが必ずありました。

最初はいいんです。
優しいなと思いました。

でも、

これを毎日やられると結構困るんです。

外でお茶してきた時、
家に帰って「お茶でも飲んだら?」と聞かれ、「いえ、コーヒー飲んできたので」と答えると「遠慮しないで、飲みなさいよ」という会話の流れになるのです。

おかしいぞ…飲んできたと言ったのに、まるで聞いちゃいねぇ!

こういう事が何回もあり、無理して飲んだり食べたりするうちに帰ってからのこの声掛けが苦痛になりました。

それ以外にも
午前中11時位には「お菓子があるよ」と声がかかり、午後3時にも「コーヒー飲んだら」と言われました。

ティータイム多すぎだろっ。

私は自宅で仕事をする事が多いので、このティータイムのお誘いでノイローゼになりそうでした。
断るのも悪いな〜と誘われるたび気をつかってしまいます。

この話を友人に話しても理解してもらえませんでした。
贅沢な話ですからね。

そんなこんなでついに私がキレてしまった話

ある時、法事から帰って来た義両親が寿司折を持って帰ってきました。

時間は夜9時。
私と夫は食事を済ませてすぐの頃でした。

「寿司をもらってきたから食べなさい」
と私と夫に声がかかりました。

さっき夕飯食べたばかり…お腹いっぱいだよと思い、
「夕飯を食べたばかりなので、私はいいです」と言ったら夫が
「じゃ俺が食べるよ」と言ってくれました。

夫が寿司を食べているのを見ていたら、義父が「アーちゃんも食べたら?」と言うのです。

私「いや、いいです」

義父「遠慮しないで」

私「いや…」

義父「食べなさいよ」

私「…」

義父「せっかくもらってきたんだから」

私キレました。
「いらないって言ってるでしょ!(しまった、つい)」と。

義父・夫「!」
義母「!…あはははは!しつこいのよ、あなたは!」

義母が爆笑してました。

つい言っちゃったけど、言って良かったです。
その場が笑いになったので爆笑していた義母にも感謝です。


そしてこの事があり、全くではないですが、だんだんと「飲め食べろ」と言われなくなりました。
(時間が経って興味を無くしたという感じもしますが。)

舅は困ったちゃん

義父は、男3兄弟の長男として戦中生まれ、戦後育ちという時代背景もあって、長男として大切に育てられたようで、空気読めない感じが多々あります。
加えて娘もおらず、女性の扱いがわからないという節があります。

女系家族で育った私の弟とは真逆という感じでしょうか。

ほんと空気読めないので、とにかくしつこいです。

最近思うようになったのが、もしかしたら少し発達障害はあるかもしれません。
記憶力もよく健康体そのものですが、人と会話がうまく出来ない感じはあります。

一方的に喋っている事が多く、離婚経験者の前で「最近の人はすぐ離婚する」等の発言をしてしまい、周りに気まずい思いをさせたりした事があります。

会話でマズい流れになったらフォローしたりできず、単語に反応して自分の言いたい事を言っています。

義父が育った時代が良い時代だったんだろうな〜と思います。
「発達障害」の言葉もなく、そういう人も生きやすい社会や会社だったのではないかなぁと思ってます。
周りにいた人も良かったというラッキーな人です。


義父の「かまいたい」攻撃ですが、よく考えたら「かまって」攻撃だったかもしれません。
義母と仲が良くなく、話し相手が欲しい感じはありました。

なんとなく、お義母さんが喋ってくれなくて寂しそう…と思ってました。
喋れば喧嘩でまともな会話をしていない義両親でした。

夫も「また喧嘩してる、ほっとけ」という無関心スタイルをずっと貫いてきたようです。

私は最初、仲をとり持とうとしたけれど、かえってこじれるような気がして、途中から辞めました。

義父とは今は、距離感をもって接する事でなんとか一緒に暮らしてます。
もともと他人だったので難しいですよね。

我慢と忍耐は続く同居嫁アーちゃんでした。


2017年9月27日水曜日

実家に帰る頻度

私は結婚するまで実家暮らしでした。

実家の場所は電車で一時間半くらいの場所です。
気軽に行くには少し遠く、遠足の気分になってしまいます。
独身の頃は1時間弱の職場に行っていたのに、環境が変わると心境も変わるもんですね。

里帰りの理由が欲しい

同居していると「○○の理由で帰ります」と言って納得して送り出してもらうという感じなので、理由もなく帰れない…という悩みがあります。

子供がいれば実家に頻繁に帰れるのですが、子供もいないので3年目を迎えた今でもタイミングがわかりません。

結婚してすぐの頃は、色々なタイミングが重なり1ヶ月〜2ヶ月に一回は何かしらの理由で帰ってました。
実家に弟夫婦が来るとか、お祭りだとか、母の誕生日とかの理由だったと思います。

実家には祖母と母がいて、今年のはじめに祖母は亡くなってしまいました。

家に母一人になってしまうので、最近、弟家族が一緒に暮らしてくれるようになりました。

母や弟がお嫁さんに頼んだのではなく、「一緒に住みましょう」と言ってくれたようです。
母が一人で家に帰ると寂しいと言っていたので、弟家族が一緒に住んでくれるのはとても嬉しいと思いました。

お嫁さんにとって私の母が姑になるわけで、心配もしてますが…。

という訳で、実家には弟家族と母が住んでおり、以前よりさらに実家に帰りづらくなっている今です。

甥っ子に会いに行くというのも有りなんですがね。

お嫁さんの事を思うと、小姑が頻繁に来るのはあまり気が休まらないのではないかと思いまして。

同じ同居嫁仲間である義妹を応援しています。

実親に会いたい時

さて、それはそうとて実母に会いたい気持ちはあります。
心が弱っているときなど特にです。

そういうとき私は、顔を見て話せるテレビ電話をかけたり、外に母を誘って出かけます

友人のごとく電話したり会えば良いのです。

実際は、そこまで気をつかうことないかもしれません。
堂々と実家に行って泊まり、飄々と同居先に帰ってくればいいと思います。

しかし、
私は気がついたのです。

実家に泊まれば泊まるほど、同居先に帰りたくないと思ってしまうということを!

祖母のお葬式で一週間、里帰りしていた期間があり、それで気がつきました。

「あ〜帰りたくない!!」

夫が待っているから、という理由でしぶしぶ帰ってきましたが、少しの間、気持ちが落ち込んでました。

義実家の人たちは他人、なんで一緒に住んでいるんだろう?
無理して一緒に住む必要ある?

そんなことばかり考えてました。
どんどん負のスパイラル…。

自分でも気がつかないうちに相当ストレス貯めてたんじゃないと思います。

「慣れ」によって気がつかなかっただけでした。

そんな出来事があってから、なるべくストレス発散するようにしてます。
また、実家に泊まる事で、いわゆる揺り戻しが起きるとわかってから、慎重になりました。

日帰りでとどめ、泊まるときは夫が一緒にというガイドラインを自分の中で設けました。
(ガイドラインなので時と場合によって変わるのはよし)

実母には申し訳ないけれど、なるべく寂しくないように手紙を書いたり、LINEをしたり、遊びに誘おうと思います。


我慢と忍耐は続く同居嫁アーちゃんでした。





2017年9月25日月曜日

生活スタイルが違う問題

各家庭によって生活スタイルはあると思いますが、とりわけ同居家庭は世間と違うみたいです。

これを言っていたのは、実は夫。
なんか他の家庭と違うかも?と、いつのころか思っていたようです。

具体的にどのへんが違うのか。

私から見て何か違う?と思った、
  • 行きたい旅行先が歴史があるけど寂れた街が好み
  • テレビはNHKしか見ない
  • 食器類がすべて骨董か民芸かブランドもの
をピックアップします。

一緒に生活してみて「山の中の隠居生活みたいだな」とはじめ思ってました。


旅行がマイナー過ぎてついていけない
年齢的なものもあるように思いますが、夫からは「若い頃からそうだった」と聞いています。

旅行は、どうも皆がいくような有名どころは避けてマイナーな所に行くのが好きなようです。
なので、意外と有名どころを知らなかったりするのです。
有名観光地は「俗っぽい」と言って行きたがりません。

テレビはNHKしか見ない

同居してはじめは辛かったです。
朝昼晩とNHKです。
確実なニュースですけどね、けっこう人と話す時に芸能ネタって重要だったりすると思うのです。旬な芸人とかね。
まぁ芸能ネタやらないですよね。

ここではNHK以外は民放と呼んでいます。衝撃。
民放も「俗っぽい」んでしょうね。

私は、お笑い番組好きだったので「ほんまでっかTV」とか「アウトデラックス」とか見られない辛さが今でもあります。
古いケータイのワンセグで見る事はあります。

居間にあるテレビはお義父さんのものという認識があって録画管理も彼がやってます。

同居して猛烈に欲しかったものが自分のTVでした。
というか、TVが誰かの所有という認識がなかったけれど。

誰が買ったとか義両親は、けっこう気にするみたいです。
所有欲がすさまじいと思います。
よく茶碗とか「私が買った」「俺が買った」と言っているのを聞きます。

その反動か、夫は所有欲があまりないです。


高価な食器類が多すぎる

私、結婚指輪をしているのですが、この食器のために指輪を外せとやんわりと言われてました。
「鑑定士や骨董屋さんは指輪を外して見るのよ」とか言ってました。
「そうなんですね」と鈍感で気がつかないふりしました(笑)
私は鑑定士じゃないし。

これまで、一枚も傷つけたり割ってません。
舅は割ってしまったのを見ました。
姑もあるようです。
お互いが「俺が(私が)買った器を割った!」と言ってます。

実家では、高級な食器を使っていなかった庶民家庭でした。
いい食器使ってるな〜と思いつつ、軽くて丈夫な食器で充分だよね、って心の中で思ってます。
民芸のものは特に重い。

たしかに料理は皿だけで見栄えが違う、と思います。
お気に入りのお皿で美味しく♪って私も思いますよ。

でもね、これがお気に入りの何枚とか少量だったら良いのですよ。
大量に食器があるのです。
台所や家の扉と言う扉の中に納められているのです。
はみ出てるのもあります。

こんなにいらね〜よっ!皿じゃなくて調味料増やせよ!と心で叫んでます。
口が悪くてすみません。

(最近は調味料を自分で買って来てます)

たぶん家の中、ほとんど皿や骨董に占められている気がします。
あと本か。

良いものであるという価値はわかるのですが、これを残されても困るな…と思います。
旅行に行くたびに義両親がそれぞれ買ってきて増える一方です。
整理する気はなさそうです。

自分の気に入った食器も買えない、(というかこれ以上増やせない)のは結婚して悔しい点でもあります。

他にも「美のわからんやつは、とdisる」「風呂と洗濯は毎日」「みかんに皿が付いてくる」「台所以外の家の中の電気が暗い(トイレは豆電球使用)」「風呂場に鏡なし・暗い」「普通の形のフライパンがない」「和式トイレ」「外国製の調理器具がほとんどで使い方がすぐにわからない」…

…列記してみると、趣味にお金を使い、生活を締める感じが出てる気がしますね。

ある意味オタクな気質?義両親かもしれません。
節約な部分は見習いたいです。

我慢と妥協の連続はつづく同居嫁アーちゃんでした。




2017年9月23日土曜日

同居と台所の大大事

台所事情は家庭によって全然違うと知った

同居したての頃・・・
台所に立つ人=姑という暗黙の家ルールがあり、私が何か作ろうとすると舅が止めに入るというよくわからない妨害がありました。

私の実家は、母子家庭だったので祖母が食事の準備を長らくしてくれていました。

私が大学生になる頃に、祖母は「料理をつくらん」宣言をして、早く帰った家族の誰か(母、私、弟)が夕飯を作ってました。
朝ご飯も各自でした。

母子家庭以前に、家に祖母・母・私と女が3人いる事が臨機応変なスタイルを生み出していたのでは、と思います。

弟も作ってくれてましたし、たまに叔母が来て夕飯を作ってくれたり、誰が台所に立っても不思議じゃない家庭でした。

夫の家は母・父・息子という、女は義母しかいなかったので台所に立つ人が限られてたとようです。

加えて義母は「女としての責任で台所に立つ」というよりもどちらかと言うと、所有欲の強い人で、自分以外の者に触ってほしくない感じがしました。

はじめは「これが専業主婦の家庭か!」と思いました。

現代的な実家に対して、昭和的な義実家に戸惑う

朝ご飯を姑が必ず準備する事に驚き、「げげげ」と思ったのは言うまでもありません。
「好きなもん食べれば良いじゃん…」と思いつつ同居後一年弱は合わせてました。

食パンサンドウィッチとバナナと紅茶が毎日必ずです。

姑の挟むサンドウィッチの具がたまに苦手なものもあったりで、涙目を抑えて飲み込んだ事もありました。玉ねぎすりおろし×とろけるチーズが特に不味かった。

また、食欲があまりない時に食べたくないな〜と思っても残す事ができず、涙目で飲み込んだ事もありました。
どうしても、と残したときは、舅の「なんで」攻撃がひどかったです。

米食べたいと思う時もありました。

今までの自由な朝食が一気に自由を奪われ囚人になったような気分でした。

作ってもらって贅沢な話なんですが…。

昼ご飯も用意してあり、夕飯もこんな調子で、もちろん義母担当でした。

作ってもらって贅沢な話なんですが…。

姑の料理は、禅料理のようです。

スープ系は具沢山すぎて、いつも煮物のようです。
汁がないんですよ…
汁茶碗いっぱいの野菜のごった煮です。

味付けはいつも「塩だけよ♪」が口癖で、酒やみりんが家にありませんでした。

化学調味料を使わない事は良い事だと思います。
しかし、修行している僧侶の気持ちになったのです。

肉はほとんどなく、これだけか…と心の中でつぶやいてました。

作ってもらって贅沢な話なんですが…。

良かったと思った事は、
いつも野菜たっぷりで実家にいた時よりも、野菜摂取するようになったこと、この時に義実家の味を知った事が今では良かったと思います。

事件は突然に

同居してしばらく台所に立たせてもらえなかったのですが、とある事件で作らせてもらえるようになりました。

姑のみ料理人の歪みはいつかは来るんです。

舅は時間きっちりに朝昼夕と食べる人で、たまたま姑が作る時間が遅れちゃったんです。
そしたら舅が激怒、姑も激怒。

舅は、時間通りに食べられなかっただけで、イライラするのです。
それまでも一ヶ月のうち何回か同様の理由でイライラしている事あったのですが、姑が何を言われても平静を装っていたのです。

それが姑も溜まりに溜まって爆発して
「勝手にやってくれ、そして若夫婦も勝手にやってくれ」という事に。

「やった!ようやく好きなものを食べられる!」と心の中では思いました。

それは顔に出さず神妙な顔で「はい」とだけ言いました(笑)

現在

しばらく、料理ボイコット宣言した姑はどうしたかと言うと・・・

相変わらずみんなの分作ってます。

おいおい!
なぜだ…好きなものを食べたい…と思いつつ、
「料理が出来るのは元気である証拠」と思いあきらめてます。

夫には「私の料理の腕は当分磨かれないので、よろしく」と言ってあります。

だけど、朝ご飯の自由と私の夕飯時間がズレました。

朝ご飯に、フルーツグラノーラでも良いのです。
朝ご飯に、ヨーグルトでも良いのです。

バナナは絶対のルールは破れませんが、まぁ栄養だし仕方ないか。
(↑食べないとバナナ奉行の舅が出てくる。「食べてないね」と。)

それまでは、義両親と私で19時きっかりに夕飯だったのが、あの事件以来は夫が帰ってから食べるという感じになりました。

まぁそれだけも気が楽です。
必ず19時にいなきゃいけないのも不自由を感じていたので…。

何度も言うけど、作ってもらって贅沢な話ですが…。

台所は別々がいいなぁとやっぱり思います。
一緒に食べる機会が減ってしまい、同居の意味がなくなってしまうかもしれないけど。
悩ましい所です。

我慢と妥協の連続はつづく同居嫁でした。

2017年9月22日金曜日

はじめまして

はじめまして、アーちゃんと申します。

同居を始めて結婚やこれまで同居で感じた事をブログに書いてみようと思います。

簡単に自己紹介します。


名前:アーちゃん
性別:女
血液型:O型
年齢:33歳
結婚・同居歴:2年9ヶ月
子供:なし
職業:在宅でのPCを使った仕事



世間でよく聞く嫁姑バトルを恐れる事なく!結婚と同時に同居を開始して、もうすぐ3年になります。
夫とは7歳離れており、義両親も70歳を過ぎています。

自分の親の年齢は60歳前半なので、そこらへんも少し接し方が変わってきてます。

なぜ同居に至ったのか?

結婚する前に彼から同居を頼まれた事はありません。
義両親は病気一つなく、入れ歯でもなく、通院もなくすこぶる健康体なので、人手に困っていたわけではありません。

あえて言うなら、「2人暮らしへの不安」です。

お互い実家暮らし(一軒家)で、一度も一人暮らしをした事がなかったという事が大きかったと思います。
結婚して部屋を探して契約して、という未経験がいくつも重なる事への不安を回避したかった気がします。
夫も私も、家賃もったいないよね〜と言っていました。確かにね、家賃は今でも大きい負担だと思いますが…。

あともう一つ、年上のお姉様たちからの助言がありました。

私は仕事以外の趣味の繋がりなどで40〜70歳の女性の結婚の先輩方が知り合いにいました。

数人が「同居するなら早い方が良い」と言っていたのです。

「いざ介護になったとき大変だった」
「後から同居は無理。それまで自由だったのにストレス溜まるよ」

そんな風に言ってました。
これ、独身の時に聞かされていたのでいざ結婚の時に参考にしますよね。
「そうか、将来大変なら今から同居しちゃえ〜」って思いました。
なぜもう少し考えなかったのか、と今では思います。

同居に至った理由はこんな感じです。

同居の状態

2世帯住宅ではありません。
築35年くらいの一軒家。
風呂、洗面所、洗濯機、台所もちろん冷蔵庫も、すべて共有です。
2階の10帖の部屋が私と夫の寝起きや日々過ごす部屋です。

同居後の感想(今現在)

実際同居してみて、「後悔はない」と言ったら嘘になります(^^;)
わずか2年に色々な事がありました…。
何とか今現在進行形と言ったところです。

私の義理の両親は、一般的にとても良い人たちです。
非人道的な意地悪をされた事はありません。

でも、
やはり・・・他人は他人。

一緒に住んでいる限り、合う合わないは必ずあると思います。

頭でわかっていてもイライラする事は多々あります。

そんな自分に落ち込む事もあります。
「どうしてこんな事でイライラしてるんだろう?私って嫌なやつ?」と。

時には義両親の良い人ぶる感じに嫌だな、裏切られたな、と思う事もあります。
(今後ブログのどこかで書こうと思ってます。)

今ではコレをブログネタにして書こうと思うようになりましたが、気持ちが沈んで沈んでそれどころじゃない、恨み辛みを四六時中考えてしまっている事もありました。

その時どうやって負の状態から抜けたかも書きたいなと思います。

同居している嫁仲間たちよ、がんばりましょう!

ブログサークル
ブログにフォーカスしたコミュニティーサービス(SNS)。同じ趣味の仲間とつながろう!